ぱぱとむすめのだいありー

娘との成長を記録していきます。

かつてコロナベビーとのたまっていた人々へ

 過去に投稿してから3年近く経とうとしている。当方がブログなる自身の乱文を野放しにしてもらえる場を有効活用する方法や意義を見出せていなかった間に、かくも世の中は変わった。そして、我が家もまた例外ではない。あの劇的な誕生を遂げた娘も、この春で3歳。保育園に通うのである。それだけではない。なんと息子と呼ぶべく存在までもが誕生してくれたのだ。本当に有り難き幸せ。子どもたちは、いずれもコロナ禍真っ只中にこの世に生を受けたわけだが、世相とはうらはらに、すくすくと元気に育っている。そもそも、いつの時代にも社会は不安定だと嘆く人間は一定数いるわけで、そんなことに関係なく、いつの時代でも子どもは元気なものであるのかもしれない。しかし、敢えて手垢の付いた表現を使おう。ここまで無事大きく育ってくれたのは、奇跡以外の何物でもない。ひたすらに感謝である。

 その節は愛する我が子たちをコロナベビーとカテゴライズした識者の方々、彼らはたくましいです。逆境に強く、何事にも挑戦していけると信じてやみません。そんな我が子たちは、保育園でも活躍してくれることでしょう。

 

 ダラダラと駄文を連ねてきたが、何を言いたいかいい加減まとめよう。保育園に我が子を預ける父親にご助言いただきたい。今シーズン2度目のインフルエンザにより出勤停止を余儀なくされ、家族に近づいてさえもらえない情けない父親に、どうかアドバイスを!そして、同じコロナベビーと呼ばれていたお子さんを育てていらっしゃるあなたとつながりたい!SNSもしていない父親は、感染防止で半軟禁状態の部屋の片隅でそう願っております。

父になる

9時16分、妻から電話があり、実家に来れそうなら来てほしいとのこと。何の変哲もない話だが、今は話が違う。電話越しの妻の息遣いが少し荒くなっている。出産が始まるのだ。寝る準備万端ということは、出向く準備も万端ということ。「連絡ありがとう」と気丈に振る舞うも、焦りからか、母には少し無愛想に出発を告げ、9時22分、車に乗り込みひた走り始める。リュックベッソンも青ざめるほどかっ飛ばす。落ち着けと自分をなだめるも、アクセルの踏み具合が正気を失いつつあることを物語っていた。

9時46分、ご実家に到着。いつも通りの温かいご家族に迎え入れられたリビングのソファーに、殊の外いつも通りの顔色の妻が横たわっていた。少し安堵するも、時折しかめる顔、悶え出しそうな声に、明らかにその時が近づいていることを悟る。「腰さすって」と言われるまで、顔を眺めることしかできなかったあたり、いざというとき夫は何もできなくなってしまうものであると納得できる。

9時20分、痛みの間隔が短くなってきていること、それが次第に強くなっていっていることから、産院に電話する。

9時28分、車に乗り込み産院へ送っていただく。ナビに映る恋愛ドラマはいつも以上に陳腐に見える一方で、停車中の踏切音はやけに反響してドラマティックに聞こえる。既に正気ではない。

9時40分前後、産院に到着。インターホンを押すと、夫は車で待つよう促された。ひたすらに無力感、蚊帳の外感を味わう。

11時4分、妻から電話があり、再びインターホンを押すよう指示が出る。すぐさま助産師さんが荷物を預かりにお越しになった。「子宮口開いてなくて、効果的か分からへんけど陣痛が5分おきにきてるから、このままいといてもらいます。24時間から2日かかるかもしれません。」といったことをやけにフレンドリーに言われた。少々抵抗を覚えたが、この口調が不安を軽減させてくれたような気もして、「お願いします!」と深々と二礼して産院を後にした。

その後、ご実家に泊まらせていただくことになった。妻に申し訳ないと思うからなのか、臨戦体勢に入ったからなのか、夜中に起きる。が、じきに再び眠り、結局6時間くらいは寝た。妻がいないご実家で、不思議な感覚の朝を迎えた。なんやかんやでいつも通り。そう思いながら身支度が終わった瞬間である。6時41分。「病院きて!」妻からのコールがかかった。心の平常運転はここまでとなった。急いで階段を駆け降り、事情をご家族に伝え、昨日拝んだはずのお仏壇に再度祈りを込めて手を合わせ、ご実家を飛び出した。道中で反復される妻からの4文字。間違いない、産まれる!どういうつもりか分からないが、昇りゆく太陽の光が、信号の色ばかりか僕たち一家の命運を教えまいと、煌々と目に飛び込んでくる。車のスピードどころか、焦る気持ちも加速させてくる。普段出勤するのと同じ時間に勤め先と逆方向に進むことで、不思議な感覚に包まれもした。現を抜かしつつ産院に到着したのが6時50分。助産師さんに招かれるまま2階へ移り、用紙に記入を終え、ふとナースステーションの中に目をやると、そこには大勢の赤ちゃん。一斉に泣く彼らの声は、讃美歌さながらの迫力だった。テレビの世界でしか見たことがなかった光景に、しばし呆気に取られる。

6時54分、いざ分娩室へ。そこにはこちらに背を向けるように体を横たえる妻と、彼女のお尻にテニスボールを押し当てる助産師さんの姿、さらに途切れることなく鳴り響く、機械から流れる心音と思しき轟音。入室するや否や、「パパさん、これ押してあげて。結構押さなあかんよ。体のどこでもいいからさすってあげて」このいち早く懐に飛び込まんとする言葉遣いは、助産師さんの専売特許であろうか。兎にも角にも、愚直にボールを押し当てるまでである。威勢良く「はい!」と返事し、ボールを押し当て、腰をさするのも束の間、妻が唸り出した。刹那、無論初めて聞くその声を、妻の母になる産声であると体で察知した。張り詰める切迫感に包まれ、再び無力感を感じるも、妻の声や息遣い、虚な目を前に悟った。ここは命の現場。生半可な力では、充分なサポートに至らない。体は強ばり、早くも目頭がじんわりしてきた。ありったけの力を込めて、ボールを押し当てた。いや、押し当てるのではない。感覚的には押し込むだ。それほど強い力を幾度にも渡って求められるのだ。何やらもみあげあたりが冷たい。気が付くと、汗が止めどなくしたたっていた。

力だけが肝ではない。押すタイミングが、これまた肝心なのだ。轟音が聞こえる機械には、陣痛レベルを示す表示が付いている。じっくり見ていると、落ち着いているときは0〜16程度、いきみたくなっているときは概ね100近くに上下することが次第に分かってきたが、これが高くなり始めたら押すのだそう。低いうちは、押されるとかえってしんどい。その代わり、陣痛がないときは腰をさする。それも結構強めにだ。お腹に響くことを危惧して初めのうちは撫でる程度だったが、妻の吐息混じりのジェスチャーによる要求で、ゴシゴシと擦るようにさする業に昇華させた。

肝要なのは、押す位置も同様だ。ボールの形状が形状なだけに、力を込めるのに比例して手が滑っていく。それを防ごうと手や指の位置をずらすと、今度はボールを押し当てる位置までもがずれてしまう。位置がずれる度に、妻に手ごとボールを操作させたり、指示させたりしてしまう。う〜ん。これほどまでに発達した医療であれば、肛門の一つや二つ、その位置を知らせるレーザー照射装置があってもいいんじゃなかろうか。そんな突拍子もない発想に至るほど歯痒かった。

陣痛レベルは、上がるのが一瞬。瞬間湯沸器よりも瞬間的に陣痛がくる。たちまち苦しそうに悶える妻に、手首がちぎれるほどの力を加えてボールを押す。力を込めようと姿勢を次々に変えていくも、どうも力がボールに乗らない。そして、あれこれ姿勢を模索する中で気付いた。左利きはボールを押しにくい。右利きであれば、妻の腰をさすりやすい上、バーを持つことができる為、ボールを押すのに力を入れやすい。なんで左利きなんや!ぼくはぼくで悶えながら、陣痛がきたときには妻の脚に挟まれるようにしてボールを押したりと、様々な姿勢を試すこと1時間半。一旦引っ込んでいらっしゃった助産師さんが現れ、ぼくを見て「アクロバチックやな!」そんな一言で一蹴されるも、こちとら真剣そのもの。妻が楽ならスリッパが脱げていてもいい。汗が止まらなくてもいい。本当に手首がちぎれてもいい。

ひたむきにボールを押し込んで、腰を擦っていると、陣痛のタイミングが分かってきた。どうやら、表示される数字が上昇して、30代に乗り出したらたちまち陣痛が強くなってくる。また、その逆も然りだ。さらに、妻が脚を徐に上げ始めると、陣痛が強くなってくることも判明した。言葉を介さずサポートできるのは、苦しむ妻にとっては大きいだろう。そんな収穫を得ると、次第に落ち着いてきたのか、周りの様子が見えてきた。あそこにも時計あったんや。隣の分娩台だけちごて、こっちの分娩台にもでかいライト付いててんな。こういった具合である。8時29分くらいであろうか。ボールを押し込んでいたら、赤ちゃんの頭を感じた。ボール越しだが、確かに外界に出ようと懸命に頭を突き出す赤ちゃんの命を感じた。あまりの赤ちゃんの力強さと、それに抗おうとする妻の力強さ、両者の生命力を感じ、不意に再び目頭が熱くなる。それに対抗すべくボールを押し込み続けるも、体力の消耗が激しくなり、再び時計に目をやるまでの3分間がこれでもかというほど長く感じた。

チーフと思しき助産師さんの登場で、次のフェーズへ移ることとなる。彼女の自己紹介の後、「いきみたいでしょ。もういきんだ方が楽やと思うわ。いきんでみ。」と、神の啓示のような一言をかけてくださる。実際にいきむと、「楽になった?」の問いかけに妻がうなずく。試しに子宮口を見てもらうと、「上手」といきみ方を褒めてくださった。「いきむ」という言葉が出てきた途端だろうか。讃美歌が収まり、いよいよといった気持ちがふつふつと湧いてきた。その後も何度かいきむのを繰り返し、その度に「めっちゃうまい」などと褒めちぎってくださる。それは他の助産師さんがご覧になったときも「すごい!」と例外ではなかった。妻は紛れもなくいきみ上手であった。

子宮口は空いたらしい。「破水したらお産するね」の言葉に続き、周りが慌ただしくなってきた。このドラマは佳境を迎え始めたのだろうか。いきむ妻の手にも力が入り、ぼくがそっと寄せた手を、爪が食い込むほど握りしめてくれる。命懸けとはこのことだ。ぼくを頼ってくれている気がして嬉しかった。妻は数回いきむのを繰り返すと、吐息混じりの声で「破水しました」と助産師さんに伝えた。

そこから事態は急速に展開する。分娩台が足を立てられるように変形され、ザ・病院の銀色の、巨大ところてんでも作るかのような入れ物が足元にセットされた。あそこに赤ちゃん入れるんかな。そんなことはないはずなのに、頭の中で急速にイメージばかりが先行する。「もう頭見えてる」の一言で、妻の目にも徐々に希望を見るような光が甦ってきて、ぼくに焦点が合うようになってきた。これでぼくの肝が据わった。祈りを込めて、まるで祝盃を捧げるような動きで妻の頭を両手で持ち上げた。妻が仰向けでいきむこと3回。「もういきまなくていいよ。もう産まれるからね」安堵だろうか。感謝だろうか。未だにその理由が分からないが、ここまで機能してきた涙の堤防が決壊し始めた。今見ていること、聞いていることを感じるだけで、何も考えたりしているわけではないのに、なぜか涙が溢れてきたのだ。赤ちゃんの頭が見え、ゆっくりと分娩台の下から体全体が現れる。もう、そこに言葉はない。どう形容していいか、落ち着いた今でも分からない。「9時46分」産声らしき雄叫びの前に、助産師さんの声が聞こえる。赤ちゃんが肺胞いっぱいに空気を取り込み始め、ぐずったような声を出している間に、ぼくは真っ先に妻に言っていた。「ありがとう」妻の目からも涙が溢れている。産声が聞こえ始め、妻の胸に赤ちゃんが運ばれてきた。もう涙が止まらない。助産師さんがカメラをこちらに向けて。この3人とも泣いている写真が、初めての家族写真となった。「パパ写真撮ってあげて」と、分娩台の横の保育器に入れられた赤ちゃんを撮るよう助産師さんから促された。「おめでとう。頑張ったね」写真と動画の撮影を終え、分娩室を後にすると、いつも以上に眩しく見える太陽がぼくを迎えた。産院に向かうときは立ちはだかるようにさえ見えたのに、今は祝福するかの如き温かいシャワーを注いでくれる。それを背に受けるぼくに、実感なんてものはあまりない。それでも、数時間にわたる激闘(闘いではないが、便宜上用いらせてもらう。)との落差に、押し寄せる脱力感と空腹感を感じずにはいられなかった。ふと取り出したスマホに目をやると、母やお義母さんの妻を心配するメッセージ。加えて、何故か幼馴染の赤ちゃんを気にするメッセージ。すぐさま前者の二人に無事を伝えるべく返信すると、そこへ産院の方が、「パパ朝ごはん食べてないでしょ。」と、本来妻が召し上がるはずの朝食が時間の都合上廃棄されるということで、食事にお誘いいただいた。吝嗇家のぼくである。ご用意していただくや否や、病室に移動して食事を始めた。その間、幼馴染からのメッセージに返信し、彼からかかってきた電話に出て話をする。大きな声で話したり、途中音が出るほどの放屁をしたりするあたり、ここでようやくホッとしたのだろう。

10時25分頃、朝食をいただいた後、分娩室で待つ二人に会いに行った。二人ともとても穏やかな空気に包まれていた。赤ちゃんは妻の胸あたりに口をつけるように身を寄せている。それにしても、こんなに静かなものなのか。可愛いの次に驚きがあった。正直なところ、あまり自分たちに似ていないという驚きもあった。ここで気付いたことをまとめてみる。

・髪の毛多!

・でこにも毛生えてる!

・眉毛茶色!

・ほっぺた赤!

・ちょっと血付いてる!

・頭の前の方へこんでる!

・手小さ!

・口の動き可愛い!

・息しにくくないんかな

さらにその後、病室に移って、抱っこさせてもらえた。そこで気付いたこともまとめてみる。

・こっち見てくれる!

・笑った!

・口から泡出すの可愛い!

・顔の白いポツポツなんや

・首にも白いのある

・舌や思たら歯茎やった!

・くしゃみした!

・あくびもした!

・泣き声猟犬並みに大きい

・泣き止む前の声可愛い!

・泣いたら背中震える!

・息しにくくないんかな

・抱くの難しいな

何分、何事も初めてなのである。赤ちゃんにとっても、このぼくにとっても。たかだか30分足らずの抱っこだったのに、全てが新鮮で、発見の連続であった。あゝ、何もかも可愛い。


こうして、半日とは思えないほど長きにわたるドラマを堪能し終えた。車に乗り込んでからしばらく脱力感に包まれていたこと、午後からもずっと余韻で夢見心地だったことは言うまでもない。